2008年12月24日(水)
OCEANS 2月号連載 AKAMINE STYLE 目覚めよ、日本の男たち! [OCEANS掲載記事]
マエストロ赤峰の「オトナ相談室」
仕事、家庭、子育て、そして愛・・・・・・などなど。
30〜40代のオーシャンズ世代にもなれば、少なからず何かしら悩みのタネは持っているもの。
そんな皆様の“駆け込み寺”として開設されたのが、このオトナ相談室。
皆さんの質問にお答えするのは、“人生のマエストロ”こと赤峰幸生氏。
今月も痛快なご意見で迷えるオーシャンズ読者に救いの手を差し伸べてくれるハズ!
では皆さん、ご一緒に! 教えてっ、マエストロ!
今月のテーマ
“超不況”
[今月の質問]
はじめまして。毎月この連載を楽しみに読ませていただいております。私は銀行員をしておりますが、周知のことではありますが、昨今は業界を問わず業績はとても厳しいことと思います。メディアでは「大不況」の前に「未曾有」という言葉が用いられるほど経済は深刻な事態に陥っています。会社では呪文のように経費削減という言葉が飛び交い、それでもやっぱりマイナス成長が続く。株価は下がり、ものは売れない。いったいいつまで続くのかと不安な気持ちでいっぱいです。そこで赤峰さんにぜひお尋ねしたいことがあります。まさに到来してしまった“超不況”の時代を、どのような気構えで乗り越えていけばよいのか教えていただきたいと存じます。よろしくお願いします。(37歳・東京都在住・大手銀行勤務・K.M.さん)
Q.うわぁ、これまた壮大なテーマ!不況の乗り越え方ですって。僕も答えを知りたいです!マエストロ、早く教えてっ!
てめぇは大ばか野郎かっ!ピーチクパーチクとわめきやがって。いつもいつもすぐ答えを求めやがる。てめぇの頭でものを考えるってことを知らねぇのか!まぁとはいえ、お前のようなうすらとんかちですら、この不況を肌で感じ取っているくらいだ。世の中の人々にとって深刻な問題であることは事実だろう。アメリカのリーマンショックに端を発した金融危機は大変なスピードでグローバルに進み、世界経済は混乱状態にある。日本経済も例外ではなく、文字どおり危機的状況を迎えている。周知のとおり、業界を問わずサブプライム問題の影響は大きい。本来であれば、この危機を乗り切るためには、国民を主導する強いリーダーが必要だ。しかしながら、先のアメリカ大統領選に勝利したバラク・オバマ氏の存在とは対照的に、我が国には今、よきリーダーがいない。コロコロと首相が代わる異例の事態に加え、最近はというと、度重なる麻生氏の失言騒動を機にその求心力の無さが一気に露呈した。矢継ぎ早に金融対策を打ち出す欧米と比べ、そうこうしているうちに日本は二歩も三歩も遅れをとっている。民間に元気のなくなった今こそ、政府の出番である。しかし、こんな状況になっても、官邸主導の国家戦略がまるでない。この不況のど真ん中で、我々が頼ることができるものは何もひとつない。そう、これは紛れもなく未曾有の危機である。
Q.ええっ!何ということでしょう。これじゃあ、国民は孤立無援・・・・・。こんなときはマエストロ、じゃんじゃん株に手を出し、将来に備えるべきなのですね!
てめぇは、本当に「超」が付くほどのばか野郎か!そうだ。“超ばか”野郎だ。何がじゃんじゃん株に手を出し、だ。まったく開いた口が塞がらねぇとはこのことだ。この不況を生んだ原因をちっとも理解していないのだな。まぁよい。お前が理解しているようなことなら、そもそも世の中はこんな混乱には陥ることもなかっただろう。誤解を恐れずに言えば、ファンドビジネスはあんまりいいもんじゃない。資産運用と言えば聞こえはいい。しかし、それは根本的にパチンコや競馬などの賭博となんら変わらない。そもそも、稼ぎとはあなたが汗水垂らして働いた、その対価であるはずだ。しかし、人は時として何の苦労もせずに金儲けができる、そんな儚い夢を抱きがちだ。それを否定するわけではないが、そんなことがまかり通るほど、この世の中は甘くない。つまり、そんな稼ぎ方は、私に言わせれば「分相応」の稼ぎ方ではないのだ。「分相応」つまり、「身の丈」である。洋服を語る際にもよく使う言葉であるが、何事にも身の丈というものがある。稼ぎ方にも然り、である。この不況を肌で感じて言えるのは、国家、企業、そして個人すべてが「長い間、身の丈に合わない悪い夢を見てきた」ということだ。結局、この不況が到来するまで誰一人として目を覚まさなかった。今もなおその夢を見続けている愚かな者も少なくないのではなかろうか。だからこそ、私はこんな輩にこう言いたい。「いい加減に目を覚ましやがれ、このばか野郎!」と。
(→)世界を覆い尽くさんとする不況という名の暗い闇。まるでその闇に転がり落ちていくように、株価は今日も低迷を続けている。この日はマエストロを、東京駅付近にある株価のチェッカーボードの前でパチリ。そして、偶然にもチェッカーボードの向かいにあった宝くじ売り場には、この「超不況」を象徴するかのような長蛇の列。そんな光景を奇しくも目の当たりにしたマエストロは、その先にいったい何を見たのでしょう。
Q.なるほど・・・・むにゃむにゃ・・・・。僕らは悪い夢にうなされていた。今こそ目を覚まさないと。でも、もう少し、寝させて・・・・むにゃ・・
てめぇ、この野郎がっ!オレの話を聞きながら居眠りをするとはまったくいい度胸をしてやがる。お前はいつもそうやって、私の言葉の“重み”を台無しにしてしまう。そんなに、オレの話が退屈かっ!いいかげんに目を覚ましやがれっ!このばか野郎がっ!まぁ、そうは言っても今この国はそれほど深刻なのかもしれないな。おそらく、多くの人々がこうやって寝ぼけているのだろう。業績の振るわない企業がその典型的な例である。ご存知のとおり企業はそのほとんどが、来期の目標やその達成度合について考える際、“昨年対比”を基準にする。数値的な検証しかしないのだ。それも何の疑いもなしに、である。それが常識なのだ。しかし、そもそもその判断基準は正しいのか、それを疑うことが必要だ。それがないから、手段を問わない売り上げ至上主義の経営戦略が行われ、企業はその力以上の売り上げを記録してしまう。そして、それが昨年対比の基準に加味されていくのだ。企業が「身の丈以上」の経済活動を繰り返していくとどうなるか。それは日本経済の現状を見れば明らかであろう。そんなふうにして、企業は元気を失い、弱りきっている。そして弱りきったその体に、何の戦略もなしに経費削減というムチを打ち続ける。これではあまりに酷すぎないか。だからこそ、企業にはこれまでの常識に捕らわれない、経済活動が必要なのだ。ということは、である。我々個人それぞれに求められることも自ずと見えてくるはずだ。
未曾有の不況を乗り越えるために、最も必要なこととは、「己の身の丈を知り、いかに慎ましく生きるか」である。そのために、“自立”という“成熟”が求められていると言えるだろう。
Q.“自立”という“成熟”ですか。それは難儀な時代ですねぇ。でも、そんなこと言ってられません。マエストロ、目が覚めましたよ!
遅いっ!てめぇはようやく目を覚ましやがったのか。まぁ、よい。そもそもお前にはあまり期待していないからな。そんなことよりも、具体的な話を進めるとしよう。既述のとおり、「慎ましく生きる」ために我々には“自立”という“成熟”が必要だ。
まず考えなければならないのが、己の価値を検証し続けることだ。これは、自分がいったい何者かを問い続けることでもある。例えばそれは、会社員としての自分の存在や仕事が、世の中の人々の役に立っているのかどうかを問うことでもある。私とて、自身のものづくりを通して、いかに会社の売り上げがよかろうが、常に(どういうかたちであれ)皆さまのお役に立てているかを自問するようにしている。仮に業績面での成功を収めようが、決してつけ上がるようなことはない。そうやって真摯な気持ちを持ち続けることが、己の価値を高めることにつながると信じているからだ。
自分自身の価値を自問するということは、つまり現在のあなたの収入が、本当にふさわしいのかを自問することでもあろう。過大評価するのも、過小評価するのもいけない。それは会社としても同じ。真摯な態度で自社の売り上げをもう一度見直してほしい。それが本当に会社の価値=「身の丈」にふさわしいのか。考え抜いたうえで目標を立て、そして全身全霊で実行していくのだ。一時の難をしのぐためのカンフル剤的対策など御法度だと心得たい。この不況時において、対症療法など意味をなさないのだ。しかし、会社とは組織である。もちろん組織の中には、抜本的な変革を意味する原因療法に対するさまざまな障害があるだろう。しかし、それにくじけてはいけない。これからの時代は“寄らば大樹の陰”ではいけないのだ。誰かに頼るという甘い考えを捨て、たとえ独りであっても己が先に立ち行動していくことが求められる。既成概念に捕らわれず、ゼロベースで考えていく力と勇気が求められるのだ。この強い信念こそが、我々に求められている“自立”であり“成熟”の源となるのだ。
Q.己に対する真摯な評価、そして既成概念に挑む勇気ですか。マエストロ、さすがですっ!
ふむ。ようやく、理解したようだな。己に対する真摯な評価と既成概念に挑む勇気があれば、自ずと道は開けよう。前者はあなたに、いかなる困難であろうとそれをこらえきる揺ぎない精神を、後者はそれを打破するための最も効果的な方法をもたらすはずだ。「身の丈」とは決まりきったものではなく、そうやって日々成長させるもの。この“超不況”の時代に立ち向かうために、己の価値を高めていこうではないか。かつて「アメリカがクシャミをすれば日本は風邪あるいは肺炎になる」という、我が国を揶揄する言葉があった。そんな時代に今こそ別れを告げるべきだ。さあ、今こそ襟を正そうではないか。オバマ氏ではないが、我々日本人は今こそ“自立”という“成熟”を果たす時なのである。何者にも身を委ねないこと。我々ががこの不況を乗り越えられるかは、己の足で立つことができるかどうかにかかっている。
−近ごろのマエストロ−
夢中になって読み進めている書籍の中に「おいしさの表現辞典」(東京堂出版)というものがある。これは、「甘い」「酸っぱい」「苦い」「うまい」などの基本的な表現から「すっきり」「まろやか」「香ばしい」などさまざまな感覚表現まで、おいしさの表現を集大成したもので、気の利いた言い方をしたいというときに役立つ味覚表現の辞典である。味覚に対する表現の多さに驚きながら読み進めている。食事をしたときに「うまい」というひと言で片付けるのは簡単だ。しかし、それを異なる言葉で表現することに、“心の豊かさ”を感じてしまうのだ。私はこの本に出会って、言葉や表現というものに繊細になるということの大切さを改めて思い知った気がする。
■みなさんからの質問待ってます!
仕事から家庭、恋愛、そしてファッションetc.・・・・・・、日ごろ読者の皆さんが抱える悩み、疑問など、相談したいことを何でも教えてください。マエストロ赤峰がズバッと解決いたします!インターネットの場合は[ www.oceans-ilm.com ]へアクセスのうえ、「NEWS」から投稿してください。郵送の場合はハガキに @相談したいこと A氏名(ふりがな) B住所 C年齢 D職業 E電話番号 Fメールアドレス Gオトナ相談室への感想 を明記し、〒162-0825東京都新宿区神楽坂6-42 オーシャンズ編集部「オトナ相談室係」まで。
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2008年11月24日(月)
OCEANS 1月号連載 AKAMINE STYLE 目覚めよ、日本の男たち! [OCEANS掲載記事]
マエストロ赤峰の「オトナ相談室」
仕事、家庭、子育て、そして愛・・・・・・などなど。
30〜40代のオーシャンズ世代にもなれば、少なからず何かしら悩みのタネは持っているもの。
そんな皆様の“駆け込み寺”として開設されたのが、このオトナ相談室。
皆さんの質問にお答えするのは、“人生のマエストロ”こと赤峰幸生氏。
今月も痛快なご意見で迷えるオーシャンズ読者に救いの手を差し伸べてくれるハズ!
では皆さん、ご一緒に! 教えてっ、マエストロ!
今月のテーマ
“芸術鑑賞のすすめ”
[今月の質問]
はじめまして。赤峰さんの痛快な話を毎月、楽しませていただいております。私は洋服が好きで、流行にも関心が高く、父親になってからはオーシャンズをよき参考書として拝読しています。しかし、自分のファッションセンスに自信がなく、よく妻にも色合わせがチグハグでセンスがないと厳しい指摘をされます。センスは磨いてゆくものと、頭ではわかっていても具体的にはどうしたらよいかわかりません。お目にかかったことはありませんが、師と仰ぐ赤峰さんに、ぜひ教えていただきたいと存じます。よろしくお願いします。(34歳・埼玉県在住・食品メーカー勤務・K・Tさん)
Q.いやぁ、センスですか。これは、また厳しいですねっ!色合わせのセンスを磨くコツ。マエストロ、ずばり、なんですか?
この野郎っ!何でもコツだコツだとすぐに答えを求めやがって。たまにはコツコツ勉強してみねぇか!とはいえ、私もその道のプロであるという自負がある。確かに色合わせを含めた洋服のセンスは一朝一夕によくなりはしない。そもそも、生まれや育ちなどの生活環境だって大きく影響する。最も身近な存在である父親、そして周りの人の着こなしを見て、自然と身に付く。特にイギリス人やイタリア人は、そうして服の着方を学ぶ。対して、アメリカ人はどうか。服飾文化が浅い国だから、そうはいかない。結果、マニュアル本が多く出されているわけだ。日本人も後者に属する。日本ほど事細かにファッションをレクチャーする雑誌が発行されている国はない。しかし、いくら雑誌を熟読したって、根本的なファッションセンスの向上は望めない。それは、ただ受動的になって何かの真似をしているにすぎないからだ。
Q.なるほど、これは手厳しいお言葉。ただ真似をするのではダメだと。では、マエストロを真似しましょう!
てめぇ、大ばか野郎っ!だから真似するなと言っただろう。服の色合わせのセンスを高めるためには「日常でのものの見方」から訓練するしかない。 人は無意識に色を見ている。しかし、意識して色を見ると、まったく違う視覚が養われる。特に意識して見てほしいのは「自然の色」である。例えば、空の色。晴れた日の空の青でも一日として同じ青はない。そして、食材の色。例えば、大根だ。真っ白ではなく、言葉では形容しにくい。それは大根の白だ。ほかには、さまざまな明度のグレーが見える河原の石ころ。それから紅葉の色。赤だったり、黄色だったり、茶色だったり・・・・。紅葉とは、重なり合う色のハーモニーだ。色彩学うんぬんと難しいことを学ぼうとする必要はない。自分の目が捉えた自然を意識して見て、記憶することが大事だ。安易にカメラに収めては意味をなさない。頭の中に収めるのだ。自然の色とは、この世界で最も美しい色である。センスを磨くにはより多くの自然の色を見て、それらを蓄積していかなければならない。
Q.なるほど。「自然の色」ですね!だからマエストロの事務所には自然の「緑」が多いんですか?
てめぇ!よく見てやがる。そのとおりだ。私は日ごろから自然の色を意識して見ている。オフィスの窓から見える風景には緑が欠かせない。緑がない環境は私にとってはありえないのだ。そして、服の生地を見る仕事は必ず、光が美しい朝に行う。朝の光は夜の蛍光灯とは比べ物にならないほど透明だ。色は光、つまり太陽光の影響を受ける。例えば、稲。稲は太陽の光を受けて金色に輝いて見えるだろう。夜の盛り場のネオンのような人工的な色を見ても、色彩感覚のセンスは養えない。身の回りにある自然の色こそが、本当に美しい色だということを肝に銘じてほしい。
(→)この日は、マエストロが昔から足しげく通う「印度料理ムルギー」にて、お気に入りの名物カリーをパクリといったところをパチリ。ここのカリーは独特の辛さで、病みつきになった人は数知れず。なんとマエストロ、このお店で戦後を代表する時代小説・歴史小説作家であり美食家でも知られた池波正太郎を見かけたこともあるとか。ムルギーは昭和26年の創業以来、昔懐かしい味を守り続けるカリー専門店だ。東京都渋谷区道玄坂2-19-2 TEL.03-3461-8809
Q.そういえば、僕も子供のころに見た空の色のことは覚えてる気がします。今となってはそんなものには見向きもしなくなってしまいました。
都会に住みコンクリートに囲まれた環境に身を置くことで「自然の色」を見る目は失われてゆく。そして、その傾向は、田舎から都会に出てきた人に特に顕著だ。子供のころは、空の青、木々の緑にもっと敏感で、美しいと感じる時間が持てていたはずだ。しかし、今はコンクリートのグレーがモダンだと勘違いをしてしまう。コンクリート打ちっぱなしの、デザイナーズマンションがお洒落だなんて、錯覚をしてしまう。イタリアのフィレンツェは、屋根の色がレンガ色で統一されている。自然な色だ。マクドナルドの看板も赤ではなく茶。市の条例で光るものは禁じられているのである。東京は街中が工業的なもので溢れている。だからこそ、自然の色を見ることを意識しなければならない。服の色合わせを上達させたいなら、それは日常生活の中の色をもっと注意深く観察する必要があるのだ。
Q.もっと身の周りの色を意識する。それこそが、コツなんですね。ところで、色といえば絵画。芸術鑑賞も訓練になるのですか?
そのとおりだ。芸術鑑賞は大いにしなさい。しかし、これだけは忘れないでほしいことがる。それは、先ほど言った「自然の色」を見るということも、私に言わせれば芸術鑑賞だ。有名な絵画を見ることだけが芸術鑑賞ではない。しかし、絵画を見ることは色彩感覚を磨くことに通じる。しかし、なかには芸術鑑賞と言われて、自分とは縁のないことだと思う方もいらっしゃるだろう。しかし、私は身の周りにある色を見る延長で気軽に絵画を見ることをおすすめしたい。ただし、絵画を見るときは、注意して色を見てほしい。最近ではフェルメール展とピカソ展に行った。フェルメールは「光と影の画家」と言われるが、光を受けたものの美しさを見事に捉えている。そして、ピカソ。ご存知のとおり、実に美しい絵画ばかりだ。箱根の彫刻の森美術館にはピカソの写真が展示されている。芸術に優れた才能を持つ人は服の着こなしもすばらしい。白のシャツとモカシンは、ピカソほどに格好よく着こなせる人はいないのではないか。芸術家はたいていがお洒落だ。それはなぜか。色を見る目、色を見る感性が敏感で優れているからだ。色使いとお洒落はつながっている。だから、服の色合わせは絵画を見て学ぶことができる。そして、そのためには色を意識して絵画を見ることが大事。服飾を生業とする私に影響を与えた画家は数知れない。フィンセント・ファン・ゴッホの「糸杉」は筆のタッチが荒く、ハリスツイードのざっくりとした素材感を思い起こさせる。ポール・ゴーギャンの色のトーンは土臭い。泥のナチュラルな色だ。ラウル・デュフィは陽気でリズミカルな作風で、クチュールデザイナーにも多大な影響を与えた。絵画と対峙したときに何かを訴えかけてくるか、それを自分流にキャッチする。あくまで「自分流」が基本だ。そのためには美術館に足を運び、生で絵画を見る。その空間、距離感が大事。一枚の絵画を目の前にして、近づいたり離れたり、いろいろな距離感で見てみる。そうやって、画家の色使いを頭に記憶するのだ。そうすると、服をコーディネイトするとき、頭の記憶装置から自然と色の合わせ方が出てくるようになる。芸術鑑賞というと少し高尚な行為のように思われるが、服の色使いを学ぶ気持ちで気軽に美術館を訪れてほしい。
Q.色合わせのセンスを磨くべく、もっと気軽に芸術鑑賞をする。やっぱり日本人は、そもそも「芸術力」が乏しいですもんね。
いや、そんなことはない。日本にも古くから、優れた芸術文化がある。たとえば、尾形光琳や俵屋宗達。彼らは世界に誇れる日本の美を見事に表現している。しかし、日本人はそういった古典作品を見るときに、まるで異国の人が描いたもののように見てしまう。彼らと同じ日本人のDNAを持っているにもかかわらず、だ。“侘び寂び”といった日本特有の情緒を解する心が失われつつある今、それは仕方のないことかもしれない。日本では何でも新しいものをよしとする風潮が強い。街はスクラップ&ビルドを繰り返す。だからこそ、日本古来の古き良きものがまだあるうちに、ぜひ目を向けてほしい。
Q.注意深く「日常」を見回す。色合わせのセンスとはごく身近な訓練で磨かれる。さすがは、マエストロっ!
日常の中で自然の色を意識して見ること、そして芸術作品に触れること。これは、私に言わせれば同義である。洋服の色合わせにおけるセンスを磨きたいのなら、あなたの「日常でのものの見方」を変えなさい。それこそが、赤峰流の芸術鑑賞である。赤峰流の芸術鑑賞とは、「見えるものとの対話」。普段、無意識で漫然と眺めている「色」が、あなたに何を語りかけてくるか注意深く読み取れるようにしてみなさい。それは、あなた流でかまわない。美しい色は、あなたの身の回りにある。あなたは無意識にそれを見落としてきただけ。美しくお洒落な色合わせのセンスは、そうやって「対話」を続けることで自然と磨かれていく。例えば、ネイビーという色。センスが磨かれれば、このネイビーひとつとっても、さまざまなネイビーがあることに気づく。もし、そこから自分に似合うネイビーを見つけることができるなら、それはおそらく究極の色合わせへの第一歩だろう。
−赤峰幸生×白井俊夫 トークイベント−
今月は我らのマエストロが登場するトークイベントの情報をご紹介。赤峰氏とお話されるのは、1866年に日本で初めての洋品店として創業して以来、服飾専門店の歴史を140年以上切り拓いてきた「信濃屋」の究極のバイヤー・白井俊夫さん。白井さんはメンズ服飾界でも絶大な支持を得る権威的存在。テーマは「紳士の流儀」。開催日時は12月21日(日)午後4時から。会場は信濃屋馬車道店にて(定員30名様)。トークショーの後は、午後6時30分より楽しいパーティも予定(会費制)。また、パーティには、アッ!と驚くスペシャルゲストも登場するそうなので、読者のみなさまも奮ってご参加ください。参加ご希望の方は信濃屋馬車道店(TEL.045-212-4708)まで。
■皆さんからの質問待ってます!
仕事から家庭、恋愛、そしてファッションetc.・・・・・・、日ごろ読者の皆さんが抱える悩み、疑問など、相談したいことを何でも教えてください。マエストロ赤峰がズバッと解決いたします!インターネットの場合は[ www.oceans-ilm.com ]へアクセスのうえ、「NEWS」から投稿してください。郵送の場合はハガキに @相談したいこと A氏名(ふりがな) B住所 C年齢 D職業 E電話番号 Fメールアドレス G「オトナ相談室」への感想 を明記し、〒162-0825東京都新宿区神楽坂6-42 オーシャンズ編集部「オトナ相談室係」まで。
Posted by インコントロ STAFF at 00時00分 Permalink コメント ( 0 )
2008年10月24日(金)
OCEANS 12月号連載 AKAMINE STYLE 目覚めよ、日本の男たち! [OCEANS掲載記事]
マエストロ赤峰の「オトナ相談室」
仕事、家庭、子育て、そして愛・・・・・・などなど。
30〜40代のオーシャンズ世代にもなれば、
少なからず何かしら悩みのタネは持っているもの。
そんな皆さまの“駆け込み寺”として開設されたのが、このオトナ相談室。
皆さんの質問にお答えするのは、“人生のマエストロ”こと赤峰幸生氏。
今月も痛快なご意見で迷えるオーシャンズ読者に救いの手を差し伸べてくれるハズ!
では皆さん、ご一緒に! 教えてっ、マエストロ!
今月のテーマ
“男ヂカラ”
[今月の質問]
毎月「オトナ相談室」を拝読しております。実は私は未婚。オーシャンズのような子供を持った家庭を作りたいと願っているのですが、肝心の結婚相手が見つかりません。これまでに3度、結婚を申し込んだことがあるのですがすべて惨敗。どうしても最後にはフラれてしまうんです。私の同年代の友人たちがほぼ全員結婚しているのですが、その後離婚をしたカップルがすごく多いんです。そんななか、私は“焦り”を感じずにはいられません。こんな私は、結婚はおろか、結婚した後もその関係をうまく持続していくことができるのでしょうか。また、結婚後に温かい家庭を築いていくうえで、大切なことは何でしょう。そもそも、結婚の前と後に男性に求められる条件とは、異なるものですか。(34歳・愛知県在住・医療会社勤務・S・Oさん)
Q.晩婚や離婚は当たり前。そんななか、結婚をしたくてもできない人々が急激に増えてきているようです!これって、深刻すぎません?一体どうなってるんですかっ!
てめぇ、このやろう!そんなことをオレに聞くなっ!てめぇで考えやがれ!
と言いたいところだが、まぁ、重要な問題だ。せっかくだから、腰を据えて考えてみようじゃねえか。
確かに今、結婚をしたくてもできない、そんな時代であることは事実のようだ。「(注1)婚活」という言葉が生まれたことが、まさにその証左。結婚に対する積極的な活動。そんなことは当たり前だと言いたいが、社会の変化がそれを余儀なくさせた。結婚というものが生きていくうえで必要な“必需品”から、あればあったで生き方を彩る“嗜好品”へと変わったのだ。そして、男性と女性それぞれの価値観も変化し、結婚を満たす条件がぐんと難しくなった。しかし、だからといって、それほど難しいことではないように思える。古今東西、受け身でいては結婚などできようもない。問題は、端的に言えば“男の力”が弱くなってきていることにある。もちろん「年収」などの細かな条件はあろうが、「婚活」には、もっと根本的な“男ヂカラ”を早急に高める必要がある。
そして、これはなにも「婚活」をする男性、つまり結婚予備軍だけに限った話ではない。既に結婚している男性も同様だ。未婚・既婚を問わず、“男ヂカラ”を高めることは、この現代社会において重要な課題であると考えたほうがよい。
Q.なるほど“男ヂカラ”ですか!でも、マエストロ、未婚・既婚問わずというのは、どうしてなんでしょう?
ばか野郎っ!お前は、本当に何もわかっていないな。あきれて物も言えん!そもそも結婚とは何か?「婚活」という言葉の誤った理解は、「結婚=ゴール」としてしまうことだ。言うまでもなく、結婚はゴールではない。結婚とは、長い人生における第2のスタートラインに立ったにすぎないのだ。結婚とは簡単なものではない。しかし、「結婚生活の安定した持続」は「結婚」よりも明らかに困難である。つまり、「婚活」はもちろんであるが、結婚後いかにその生活を安定して維持していくかという目的を忘れてはならない。そのための“男ヂカラ”でもある。「婚活」という言葉に踊らされているばかりでは、多くの男性が、この真の目的を見失うことになる。
Q.なるほど、結婚するのは簡単。難しいのは結婚生活の維持だ、と。では、改めて、既婚・未婚に限らない“男ヂカラ”とは、何でしょう?
結婚とは単なる「日常の営み」の連続だ。そして、結婚相手とは「共同生活者」だ。あえて言うなら、“男ヂカラ”の真価は結婚してからの、毎日の生活で問われることになる。そして、“男ヂカラ”とは、誤解を恐れずに言えば「強い男」になることにほかならない。時代は変わっても「女性は強い男に憧れる」。これは、生物学的な原則と言ってもいい。だが、現代の男の多くは、その強さに欠ける。そして、ときにその強さを「優しさ」と混同しているのだ。
結婚生活を「日常の営み」とするならば、生活していくうえでの「役割分担」は最も大事なことだ。言うまでもなく、家事や育児のすべてが妻の役割ではない。妻が炊事をするなら、夫は掃除に洗濯。私とてゴミ出しからトイレの掃除、いろいろ役割を担う。生活していくうえで必要な仕事は分担して当然。妻が専業主婦だろうが共働きだろうが、そんなことは別問題である。
しかしながら、それが男の優しさだと思っているとしたら勘違いも甚だしい。あるいは、それを相手の顔色を窺い、機嫌を取るためにやっているという輩には、ひと言。ばか野郎っ!である。そんなものは、「まやかしの優しさ」にすぎない。私に言わせれば、「夫婦ごっこ」をしているにすぎないのだ。“男ヂカラ”とは、まずこの「まやかしの優しさ」をなくすことから始まる。家事や育児には、必要であるから参加する。それ以上でもそれ以下でもない。
(→)実はマエストロ、平日でも休日でも時間があれば早朝にジョギングをして汗を流すことが多いとか。仕事は健康な体があってこそ、と語るとおり、ジョギングにも全力投球で励む姿からは、並々ならぬ生命力を感じずにはいられません。運動不足に不摂生と負の連鎖に悩んでいる我々も、ぜひともマエストロを見習いたいものです!
Q.結婚したり、付き合ったりして生活をともにすると、ふたりの価値観の違いが浮き彫りに・・・・。こんな話をよく聞きます。そんなときはどうすれば?
てめぇ、この野郎!オレは「家族サービス」なんて言葉は大嫌いだ!「仕方なしにやっている感」が強く「ありがたく感じろ」、と言っているようなものではないか。だから、家族と過ごす時間が負担に感じられてしまうのだ。原因は己にある。家族と過ごす休日の時間を、妻や子供と同じように自分も楽しめばいい。自分が楽しめれば、それはサービスではない。「仕事で疲れているから休日は寝かせてくれ」なんていうのは言語道断。世の多くの男性には、家が仕事に奔走するための休息の場。しかし、本来は逆。いや、むしろ、その両方が勝負の場であってほしいと思う。毎日を充実して過ごすためには、どちらにおいても全力投球することは、豊かな人生を過ごすことにつながる。「家族サービス」なんて考えは改めて、休日は自分も家族と一緒になって楽しむことだけを考えろ。趣味に費やす時間が取れないなら、家族との時間を使える、新しい趣味を作ればよい。休日を「楽しみ尽くす」ことは、己を高めることに直結する。これは、結婚前でも同様だ。「楽しみ」に対して消極的になってはいけない。楽しいことを追求しなくなったら、生きている意味がない。“男ヂカラ”とは、貪欲に楽しみを追求することでもある。そうやって普段から自分を積極的に極めていく姿勢が、“男ヂカラ”を高めていくうえで必要不可欠なのだ。
Q.必要なことを“必要だから”する。でも、「家族サービス」を負担に感じる男性は多いとか。でもこれ、「強い男」には、不可欠ですよねっ!
結婚すれば、確かにそれまでの関係性ではなくなる。文字どおり「共同生活者」になるからだ。しかし、結婚とはそういうものだ。双方に言えるのは、すべてのことについて「お互いさま」という自立した気持ちを持つこと。お互いが助け合って、はじめて生活が成り立つ。結婚後、価値観の違いに悩むのは、他人同士なのだから当たり前。むしろ、価値観の違いがあってこそ、面白みがる。違いは、認め合い、擦り合わせ、そして共有する。そのためのケンカならば大いにすればよい。しかし、最後には必ず男が女に謝る、そんなケンカならしないほうがまし。女が間違っていると思うなら、そう強く諭せばよい。どちらか片方の我慢が続くようであれば、長続きはしない。価値観の違いを認めない相手には、そこで諦めずに、認めさせる努力をするべきだ。最近ではすっかり見られないが、女性を育てる、というのも男の役目。互いに高め合える関係が理想だ。デリケートな気配よりも、それを前提とした男らしい牽引力を養え。亭主関白な立ち居振る舞いとは限らない。ときには怒鳴る。女に対して、感情に剥き出しにして主張をしてみろ。“男ヂカラ”には見せかけの優しさなど不要だ。既婚・未婚にかかわらず、本当に相手の女性を思うなら、それが当然だろう。信頼は安心感は、そんな関係の中で育まれるのだ。
Q.もし、「イイ女」に出会ったら・・・・・。いったい、どう対処すれば?それが心配でなりませんっ!
てめぇは、本当にばかなのか?いや、大バカやろうだな。まぁ、とはいえ世の中にはイイ女は山ほどいる。あえて言うなら、心配するのは、お前がその女性との肉体関係を求めてしまっているからではないか。肉体関係だけが男女の関係ではない。それが目的になってしまえば、その関係は長続きせずすぐに終わってしまう。それでは、せっかくのイイ女が台無しだ。そうではなく、本当にイイ女が現れたなら、友人として長く付き合っていけばよい。性別を問わず友人の数は“男ヂカラ”に比例する。友人とは、己を高める肥やしとなる。そういう意味では“男ヂカラ”を高めるために、どんどんイイ女、そしてイイ男を見つけなさい。
結婚生活とは、山あり谷あり。旅のようなものである。立ち止まることも、道に迷うことも、ときには道を間違えることもあるだろう。しかし男である以上、あなたは進むべき道を、常に前に立って示すように努めなさい。それは、自分本位でという意味ではない。あなたの夢や理念、そして信条は、女性にあなたの背中を見せることで示しなさい。独身の方であってもそう。普段からそう心がける。“男ヂカラ”とは、そうやってあなたの背中に宿るのである。
(注1) 「婚活」
家族社会学者の山田昌弘氏と少子化ジャーナリスト白河桃子氏による造語。就職活動を意味した「就活」と同じく、結婚のための積極的な活動を「婚活」と称した。共著『「婚活」時代』(ディスカバー・トゥエンティー・ワン)が詳しい。
−近ごろのマエストロ−
パリで「プリミエール ビジョン」、ミラノで「ミラノ ウニカ」の生地展に行ってきた。かれこれ30年は通い続けているが、今回はこれまでにない変革期にあると感じた。今後は地球規模で捉えた、オーガニックなものとエスニック(=民族的)なものとが軸となっていく予感がした。非工業化、非効率化されたもの、つまり、手織・手編・手染・手縫・手紡といった“時間をかけて手仕事で作り上げた本物”が求められる。早くて安い、そんな無味乾燥なファッションの対極。世界全体で消費が停滞しているからこそ、安易な買い物をやめ、こういった本物を見極めることが大事だ。
■皆さんからの質問待ってます!
仕事から家庭、恋愛、そしてファッションetc.・・・・・・、日ごろ読者の皆さんが抱える悩み、疑問など、相談したいことを何でも教えてください。マエストロ赤峰がズバッと解決いたします!インターネットの場合は[ www.oceans-ilm.com ]へアクセスのうえ、「NEWS」から投稿してください。郵送の場合はハガキに @相談したいこと A氏名(ふりがな) B住所 C年齢 D職業 E電話番号 Fメールアドレス G「オトナ相談室」への感想 を明記し、〒162-0825東京都新宿区神楽坂6-42 オーシャンズ編集部「オトナ相談室係」まで。
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2008年09月24日(水)
OCEANS 11月号 「パパ男」改造計画 【知】 [OCEANS掲載記事]
■OC的流儀■感動して知のフィールドを広げる!
“知の巨人”に聞く!感動力の高め方
素晴らしい男=「パパお男」になるためには、常に知的好奇心が旺盛で“知のフィールド”を広げていくことに貪欲でなければなりません。そして、そのために不可欠なことは“心をふるわせる=感動すること”。しかしながら、現代人はそうやって感動することが少なくなってきています。だからこそ、今改めて“感動力”を高める必要があるのです。
ということで、本誌にて「オトナ相談室」を連載中の赤峰幸生氏とスペシャルゲストに松山猛氏を招き、感動力の高め方について伺いました。
“知の巨人”が語る、歯に衣着せない“言葉”には、感性を呼び覚ますヒントがいっぱいです!
今回の対談では「感動力の高め方」がテーマです。まずは、最近、感動したことを教えてください。
赤峰氏(以下、敬称略) 8月に東京国立博物館での企画展「対決 巨匠たちの日本美術」を観て、感銘を受けました。中世から近代までの日本美術史に名を刻む巨匠たちをふたりずつ組み合わせ、名作を対決させる形で紹介しているのですが、まず、催しを企画した人の意図に感動したのです。
松山氏(以下、敬称略) 僕はその催しは見逃しましたが、対決させることで個々をより際立てたのですね。
赤峰 展示内容の中では、特に(注1)宗達と(注2)光琳の対決が素晴らしかった。有名な作品ですが、従来の“作品を観る視点”を変えたことに面白さがある。つまり対決形式によって、従来の作品が新鮮なものに変わりました。思わず夢中になって鑑賞しましたよ。
松山 僕は時計についての評論を生業のひとつとしています。もともと、自分が時計に魅せられて、興味を持ったことについて知識を蓄えることが好きだから、時計についての執筆やコメントを依頼されるようになったのです。今、興味を向けていることは着物。最近は着物周りのものが気になっています。京都文化博物館で開催された日本人の“飾る”という情熱にスポットを当てた企画展「KAZARI 日本美の情熱」は実に感動しました。僕は京都で生まれ育ったこともあり、実は中学生のころから骨董に興味を持ちました。(注3)東寺で行われる骨董市には今でも訪れます。骨董は私の商売ではないから、“自分が気に入り、身近に置いておきたいと思う”、が私の選択基準です。
赤峰 自分の好奇心をとことん追求することは、自然な行為でもあり、知識を高め、感動力を高めることに通じます。私の場合そのひとつが服であり、たまたまそれを生業としているというわけです。
松山 服で思い出しました。昔のことですが、ドイツの「ラコ」というタイに魅せられたことを覚えています。20歳のころ、とても惹かれましたが、高価で手に入れられなかった。
赤峰 ありましたね、ラコ。神戸の元町にある輸入ネクタイの専門店、元町バザーに置いてありました。
松山 今はいたるところに物があり、そしてそれがどこででも手に入る。情報が多すぎます。だから、感動しにくい。お手本となるような、理想の人がいない、とういことにも理由はあるようです。
赤峰 そう。ファッションでは身近な人がお手本であり、憧れでした。私は叔父貴の(注4)清水幾太郎がそうでした。丸善で仕立てたネイビーのブレザーを着ていて、子供心ながらに格好いいと感動していましたよ。
松山 僕にとっての憧れの大人は父でした。中学2年生のときに亡くなったのですが、父の姿は脳裏に焼き付いています。年に2回、仕立屋が家に着てスーツをあつらえるのですが、父が最後に仕立てたスーツは僕が選んだ(注5)バーズアイの生地でした。
赤峰 当時は映画からも影響を受け、そのたびに心をふるわせたものです。
松山 そう。今より映画は情報価値が高かった。スクリーンに映った(注6)ハンフリー・ボガートの腕元に目が留まり、それがアンティーク時計に興味を持ったきっかけでした。その後にアンティーク時計を手に入れて、壊れたので店に持っていったのです。店主が「いい機械が入っているから大事にしろ」と言って、中を見せてくれました。とてもきれいでね。感動しました。それからバックアップのためにと何本かのアンティーク時計を購入して、蒐集がはじまったのです。時計以外でも、服を見るために映画を観たということもありましたね。石原裕次郎、(注7)天地茂など。麻生太郎さんは天地茂を意識した着こなしではないかな。(注8)ジャン・ギャバンが演じるギャング映画も父に連れていってもらった。映画の帰りには洋食屋に寄るのですが、その味にはいつも感動していました。こういったごく日常のなにげないことに、心をふるわせていましたよ。
赤峰 映画はやはり映画館で観なければダメですね。過去の名作を観る手段としては仕方のないことなんだけれど、家でDVDを観るだけでは魅力が半減する。映画館に足を運ぶ、その行為も映画鑑賞に含まれている。簡略化することだけが、すべてじゃない。昔と今の生活の違いはそういったゆとりというか、情緒、つまり「間(ま)」があるかどうかだと思います。先日の北京オリンピックのデジタル花火なんて、情緒のかけらもなかった。やはり本来の日本の花火には、一発一発に「間」があって、余韻を楽しめる。だからこそ感動につながるのだと思う。
松山 デジタルの音楽だってそう。アナログのレコードには独特な音の“揺らぎ”がありました。完璧な音ではないのですが、それが人間的で、心地よく耳に入ってくるのです。正確すぎることはともすれば息が詰まるような錯覚に陥ることもある。
赤峰 私たちが求める「幸せ」にはふたつある。技術の進歩がもたらす「便利な幸せ」と、昔ながらの「便利ではない幸せ」がある。それらに優劣はないが、今の時代に生きるならやはり両者をバランスよく享受していくことが理想です。しかし、今、後者の幸せがどんどんなくなってきている。目を向ける機会すらなくなっているという事態なのです。
感動しにくい時代と言うことなのですね。では、その原因は何でしょうか?
松山 コミュケーションの取り方が変わってきましたね。人と人が話さなくなった。
赤峰 パリのサン ジェルマン・デ・プレの有名な(注9)カフェ・ドゥ・マゴ。そこで語り合った人々なんかに憧れもあって、私もジャズ喫茶で顔を突き合わせてお互いに目と目を見ながら会話するということに夢中になったことがありました。でも、今はメールで終わり。ブログなんていうものもあるけれど、誰かよく知らない人が何かに感動したからって、気持ちが伝わってこない。
松山 以前バーに行って、隣の席に座っている人が面白い話をしているから、話に加わろうとしたら、変な人だと思われてしまった(笑)。なんだか寂しいですね。
赤峰 ヨーロッパでは汽車の中で、知らない者同士が会話しているのは日常の風景。江戸前なら、相席という文化もあります。
松山 僕は京都から東京に出てきたのですが、東京は下町を知らないとダメだと思ってよく下町に繰り出しました。飲み屋で隣の人と話したり、お酒を見知らぬ人からごちそうになったり、些細なことでも、そこに感動の種は落ちていたように思います。
赤峰 長屋という文化もありました。
松山 現代の高層マンションは立体的な現代版の長屋ですよ。しかし、昔とは勝手が随分と違う。組合内でも携帯電話の番号は教え合わない。個人情報だから、と。隣に誰が住んでいるかもわからない。連絡先もわからない。怖いですよ。でも、それが当たり前。物騒な世の中だからでしょうが、他人に関心がないと思えてなりませんね。もっとおせっかいであってもいいと思う。
赤峰 昔はね、いい顔つきをしたオヤジが街中に多かった。
松山 そう。自分もそんなふうになりたいと思う、格好いい大人が本当に多かった。
赤峰 理念を持っていて生きている大人がいた。その人なりの「生き様」を持っていた。それに比べて今は他人からの評価ばかりを気にしている。「あなたの人生のコンセプトは何ですか?」と問いかけたくなる。
松山 『(注10)平凡パンチ』をはじめ、さまざまな雑誌作りに携わり企画を手掛けました。自分の興味が向く企画ばかりでした。若い人に、「松山さん世代がいろいろな面白いことをやり尽くしたから、今は面白いことがない」と言われることがあります。しかし、それは間違い。今の時代にも興味深いことは山ほどある。ただ、それに気がつかなくなってきているだけ。
赤峰 感性が鈍っている。それはコンクリートに囲まれた都会で暮らす弊害でもあると思います。私は東京生まれの東京育ちですが、果たして東京で暮らすことが幸せなのか、疑問に思います。感性が鈍っている、感動しなくなっていると自覚のある人には、田舎暮らしをすすめたい。都会にはない感動がいっぱいありますよ。
松山 25年ほど前、信州で2年暮らしたことがあります。子育てをするようになって、子供が土を知らないことに気がつき、本物の自然に触れさせたいという思いが理由のひとつでした。自然との接点は人間にとって大切。それが長く失われると、五感が鈍ってくる。感動を得ることが少なくなったというのは、たしかに都会病とも言えるかもしれません。私はさまざまな場所を旅しましたが、そこで改めて人間はどんな人種でも基本はまったく同じ姿だと感じました。生活習慣や宗教が違っても、人間のすることはさほど変わらない。女性を好きになり、子供を作り、子供を育てる。歴史が始まって以来、そういう営みが続いている。この当たり前の営みの中に、感動があることを多くの人が忘れがちだと思うのです。
赤峰 「生きる営み」。朝があり、昼があり、夜がある。自分が生を受けて、この世に存在することのありがたみを感じることは、まさに感動の源泉ではないでしょうか。
本対談にて初対面した両氏。赤峰さんは東京生まれの東京育ち、松山さんは京都生まれの京都育ち。お互いに日本文化への思いが深く、対談の中で意見が一致することがしばしば。4日違いの8月生まれで、同じ獅子座であることでも“ただならぬ”シンパシーを感じ合っていました。
では、感動力を高めるうえでの身近で具体的な方法を教えてください。
赤峰 やはり本を読むこと、これは欠かせない。近頃は活字離れが進んでいるようですが、本には感動を呼び起こす要素が多い。おすすめの本はたくさんあるけれど、私が何度も読み返すのは(注11)夏目漱石の『こころ』。一読をおすすめしたい本の代表です。(注12)塩野七生の『人びとのかたち』も付け加えたい。映画を観ることの勧めでもあります。
松山 あえて選ぶなら(注13)久生十蘭。そして(注14)ヘミングウェイ。へミングウェイの著作は私を旅へ向かわせたきっかけでもあります。
赤峰 私もヘミングウェイには影響を受けました。常宿にしていたというヴェネチアの(注15)ホテル グリッティ パレスにも、好奇心から何度か宿泊したことがあります。
松山 ヘミングウェイの足跡を辿った(注16)『パパ・ヘミングウェイ』もおすすめの本です。旅は僕たちの価値観を変えてくれる。感動力を高めるためには、有効な手段ですね。
お二人が好奇心の赴くままに訪れ、そして心から感動された「旅」について教えてください。
赤峰 イタリアは何度も訪れている国です。ミラノやローマのような大都市ではありませんが、忘れられないのは(注17)トリエステ。感動的な都市でしたね。同じイタリアでも、ここまで多文化が混ざり合う場所も少ない。詩人ウンベルト・サーバの本屋は一見の価値があります。
松山 僕は、奇才(注18)ガブリエレ・ダヌンツィオに興味を抱き、彼の暮らしていた家を見るためにイタリアのヴィットリアーレを訪れました。非常に思い出深い旅でしたね。
赤峰 いろいろな場所に赴く旅もいいですが、過去に行ったことのある場所へ再び行くという旅もおすすめしたい。昔と今では感じるものが違う。その違いを実感することにも大いに意義があります。
松山 そういう意味では早く行ったほうがいい場所もある。オーストリアのザルツブルグは素晴らしい景観の街ですが、3年ほど前に再訪したときはマクドナルドができていた。一概にマクドナルドが悪いわけではないが、かつての趣はありません。
赤峰 アメリカによる(注19)グローバリゼーションですね。あと、東京の下町も様変わりしている。かつての情緒や風情は急速に失われています。
松山 日本はヨーロッパと比べて、歴史的建造物へのリスペクトが少ない。常にスクラップ&ビルドを繰り返している。もっと日本の文化に誇りを持ってしかるべきです。日本から影響を受けた文学や芸術も世界には数多い。(注20)ゴッホの『梅の注花』がまさにそう。歴史を紐解けば、私たちの住む日本には世界に誇る文化が溢れていることがわかります。
赤峰 しかし、そこに人々はそこに気づかない。だからこそ、感動力を高める必要がある。旅での非日常は感動を呼び起こすきっかけになります。また、己を知る体験でもある。つまり、価値観、そして生き方を変えるきっかけとなる。だからこそ、もっと旅をしたほうがいい。仕事に追われているばかりでなく、しっかり休んで旅に出るのです。
お二人の生きていくうえでの心構え、座右の銘のようなものがあれば教えてください
松山 「迷いの中に悟りがあり、悟りの中に迷いがある」。平たく言い直すと、頭の中で考えることはタダ、請求書は送られてこない。人間、どこで暮らしていても思考を巡らせることはできる。その行為をどんどん楽しんでほしい。私自身、どうしたらもっと人を楽しませることができるかを、これからもずっと考えいていこうと思います。
赤峰 先ほども言葉に出しましたが、「生きる営み」に尽きます。家族と過ごす、毎日のなにげない生活ほど素晴らしいものはないでしょう。そして、普段の生活の中にこそ、得難い感動が潜んでいると思います。映画を観たり、本を読んだり、旅をしたり。それらも感動力を高めるための有効な方法。ただし、それ以上に普段の生活で見つける感動のほうが、よりリアルに、心をふるわせます。冒頭でお話した「対決 巨匠たちの日本美術」のように、見慣れたものを少し違う角度で見てみる。そんなちょっとした行為が感動の種を見つけるきっかけになると思うのです。自分とは何か、家族とは何か、そうやっていつも問い続けることを忘れないでください。感動力とは、あなたのすぐそばにあるものを使って簡単に高めることができます。誰にでもできる、決して難しいことではないのですから。
(注1) 「宗達」
俵屋宗達。生没年不詳。尾形光琳が私淑し「琳派」の祖ともいわれるほどの江戸時代初期の大画家。「風神雷神図屏風」ほか3点が国宝に指定されている。風神雷神図のような装飾的大画面だけでなく、水墨画の名作も世に残している。江戸時代後期〜明治時代にかけては評価が低く、光琳の絵のほうが上だと見做されてきたが、現在では光琳勝るとも劣らないほどに評価が高い。
(注2) 「光琳」
尾形光琳。1658年〜1716年。江戸時代の画家、工芸家。後に「琳派」と呼ばれる背景に金銀箔などを用いた装飾的大画面を得意とする画派の代表的画家。その非凡なデザイン感覚は「光琳模様」という言葉を生み、現代に至るまで日本の絵画や工芸、ヨーロッパの印象派にまで大きな影響を与えた。
(注3) 「東寺で行われる骨董市」
京都の東寺で開催される弘法市のことで、祖師空海入寂の3月21日を期して、毎月21日に御影堂で行われる。当初は年に1回行われていたものが、1239年以降は、毎月行われるようになった。
(注4) 「清水幾太郎」
1907年〜1988年。社会学者、評論家。赤峰氏の叔父にあたる。優れた日本語の書き手としても知られその著書は多数。学習院大学では教授を務めた。当時、皇太子時代の今上天皇が外国訪問のため皇太子の出席日数が足りなかった際、外国訪問を授業の代わりとして単位を与えるとする案が出たが、これに対し「他の学生が苦労して単位を取得しているのに、皇太子だけを特別扱いする訳にはいかない。それならば聴講生になってもらえばよい」と反対したというエピソードは有名。
(注5) 「バーズアイ」
文字通り「小鳥の目」という意味で、円の中に点が入った一種の水玉模様を全体に散りばめた織り柄。
(注6) 「ハンフリー・ボガート」
1899年〜1957年。ニューヨーク出身のハリウッド映画俳優。ボギーの愛称でも知られる。代表作は『カサブランカ』。トレンチコートに煙草がトレードマーク。
(注7) 「天地 茂」
1931年〜1985年。1965年、三島由紀夫の依頼により、美輪明宏主演舞台『黒蜥蜴』で明智小五郎役を演じ、これが大当たりの役となる。ハードボイルドの代表的なスターであり、ニヒルな眉間のしわで“マダムキラー”の異名を持った。
(注8) 「ジャン・ギャバン」
1904年〜1976年。フランスの映画俳優。歌手としても活躍。一癖も二癖もあるならず者やお尋ね者を得意とし、ギャング映画に数多く出演。深みのある演技と渋い容貌で絶大な人気を誇り、1954年にはジャック・ベッケル監督の『現金に手を出すな』に主演し、後にギャバンの代表作とも言われるほどの名演を見せる。日本の特撮作品『宇宙刑事ギャバン』の名前は、彼から取られている。
(注9) 「カフェ・ドゥ・マゴ」
1920年代に文学者や芸術者、左翼知識人のたまり場となったパリのカフェ。第二次大戦の兆しが見え始めたころ、人々が政治的な議論をしに集まり、サルトルやカミュなどを筆頭に実存主義者の根城になったという。その後、ピカソやヘミングウェイにも親しまれた。
(注10) 「平凡パンチ」
1964年、平凡出版(現マガジンハウス)から創刊。ファッション、情報、風俗、グラビアを扱う男性向け週刊誌として、人気を博す。
(注11) 夏目漱石の『こころ』
1867年〜1916年。日本の小説家、評論家、英文学者。『吾輩は猫である』、『三四郎』、『坊ちゃん』で広く知られ、森鴎外と並ぶ明治・大正時代の大文豪と称される。写真の『こころ』は友情と恋愛の板ばさみになりながらも結局は友人から恋人を奪ったために罪悪感に苛まれた「先生」の遺書を通して、明治人の利己を追う代表的な作品。
(注12) 塩野七生の『人びとのかたち』
1937年生まれ。東京都出身の作家。1963年からイタリアへ渡り、1968年に帰国すると執筆を開始。雑誌『中央公論』掲載の『ルネサンスの女たち』で作家デビューを果たす。現在はイタリア永住権を得て、ローマ在住。ローマ帝国興亡の歴史を描いた全15作の『ローマ人の物語』が有名。同作で司馬遼太郎賞の受賞、イタリア政府より国家功労勲章受章、文化功労者に選出される。『人々のかたち』は、自身に多大な影響を与えた映画を題材に、人生の奥深さというものを語る力作。
(注13) 久生十蘭
1902年〜1957年。北海道函館市出身の小説家。推理もの、ユーモアもの、歴史もの、現代もの、 時代小説、ノンフィクションノベルなど多彩な作品を手がけ、博識と技巧で「多面体作家」、「小説の魔術師」と呼ばれた。「黒田騒動」(1624年に福岡藩主の黒田忠之とその側近と筆頭家老などの間に生まれた軋轢から10年に及ぶお家騒動)に巻き込まれ破滅に向かう人間像を描いた『鈴木主水』で、1952年に第26回直木賞を受賞した。
(注14) ヘミングウェイ
アーネスト・ヘミングウェイ。1899年〜1961年。アメリカの小説家・詩人。カジキと闘う孤独な老漁師サンチャゴの物語を描いた『老人と海』は、1954年にノーベル文学賞受賞のきっかけとなった作品として有名。また、彼を語る上で外せないのが釣りから狩り、ボクシング、闘牛を楽しむアメリカ的で男らしいライフスタイル。世界中から「パパ・ヘミングウェイ」の愛称で今なお親しまれる20世紀を代表する人物。
(注15) ホテル グリッティ パレス
ヴェネチアの旧市街中心地にある高級ホテル。共和国時代の統領アンドレア・グリッティの居住館として1525年に建設され、バチカン市国の大使館としても使用されていた歴史を持つ。英国ロイヤルファミリーやウィンザー公、モナコのプリンセスなどの著名人が顧客として名を連ねていたことでも有名。
(注16) 『パパ・ヘミングウェイ』
著者であるA.E.ウォッチナーは、ヘミングウェイの親友。この作品では、ほかでは見られないヘミングウェイの素顔に迫った伝記。日本では1967年に早川書房から出版された
(注17) トリエステ
旧オーストリア領、第一次世界大戦によりイタリア領となった都市。第二次世界大戦後に南部はユーゴスラビアが占領した経緯もあり、トリエステにはイタリアとオーストリア、そしてユーゴスラビアなどの多文化が入り混じる。現代イタリア三大詩人の一人として知られる、ウンベルト・サーバが生まれ育った場所。
(注18) ガブリエレ・ダヌンツィオ
1863年〜1938年。イタリアの詩人であり作家、劇作家。ファシスト運動の先駆とも言える政治的活動を行ったことでも知られる。16歳にして処女詩集の『早春』を出版した。ファシズムの創始者とされるムッソリーニとの親交も深く、多大な影響を与えた人物とされている。
(注19) グローバライゼーション
従来の国家や地域などの境界を越えて、地球規模で複数の社会とその構成要素の間での結びつきが強くなることに伴う、社会における変化やその過程。この言葉はさまざまな社会的、文化的、商業的、また経済的活動において用いられる。使われる文脈によっては、世界の異なる部分間の緊密なつながりを意味する場合もあれば、負の側面、つまり工業や農業といった産業が世界規模での競争にさらされることで維持不能になるなどの搾取の要素を指す場合もある。グローバリゼーションの進展については賛否両論があり、現在さまざまな分野においてその功罪が議論されている。
(注20) ゴッホの『梅の開花』
1853年〜1890年。オランダで生まれ、主にフランスで活動したポスト印象派の代表的画家。現在でこそ高い評価を得ているが、不遇の生涯を送っており、生前に売れた絵は「赤い葡萄畑」のたった一枚だけであったとういう。「梅の開花」は1887年に彼が描いた作品で、日本の浮世絵に影響を受けたとされるもの。1887年の作。
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松山 猛 [OCEANS掲載記事]
■Profile■
関西を中心にフォークソングの作詞などを手掛け、代表作に「帰ってきたヨッパライ」などの作詞、「イムジン河」の訳詞など。東京に移住後は「平凡パンチ」、「ポパイ」、「ブルータス」などでライター、編集者としても活躍。フジテレビ系「ワーズワースの庭で」、「ワーズワースの冒険」レギュラー出演なども。また趣味人としても知られ、特に時計の造詣が深く、現在は機械式時計のご意見番でもある。
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2008年08月24日(日)
OCEANS 10月号連載 AKAMINE STYLE 目覚めよ、日本の男たち! [OCEANS掲載記事]
マエストロ赤峰の「オトナ相談室」
仕事、家庭、子育て、そして愛・・・・・・などなど。
30〜40代のオーシャンズ世代にもなれば、少なからず何かしら悩みのタネは持っているもの。
そんな皆さまの”駆け込み寺”として開設されたのが、このオトナ相談室。
皆さまの質問にお答えするのは、”人生のマエストロ”こと赤峰幸生氏。
今月も痛快なご意見で迷えるオーシャンズ読者に救いの手を差し伸べてくれるハズ!
では皆さん、ご一緒に! 教えてっ、マエストロ!
今月のテーマ
“現代版・江戸しぐさ”
[今月の質問]
毎月楽しく「オトナ相談室」を妻と一緒に読んでおります。私は息子を持ち、仕事では教員として私立高校の教壇に立っています。ここ最近、若者の日本語離れが問題になっています。正しく美しい日本語の使い方や、「江戸しぐさ」について授業をすることも非常に多くなっています。現代をよりよく、豊かに生き抜くために、これらへの理解は欠かせないものになってきています。日本文化だけでなく海外の文化にも精通していらっしゃるマエストロに、それらを併せたような現代版の「江戸しぐさ」を何か教えていただけないでしょうか? (40歳・埼玉県在住・私立高勤務・O.Yさん)
Q.おっと、今月も壮大なテーマですよ。「現代版・江戸しぐさ」だそうです。日本語やその使い方の重要性を改めて知る。そんな気運も今、確かに高まっています。
てめぇ!いい具合に始めやがるじゃねぇか。そうだ!その通りだ。最近、日本人は日本人のよさを失っている。大体、日本が素晴らしいと語るのは外国人であって、日本人であることは少ない。そればかりか、そこに気がつかない日本人が多すぎるのではないか。海外の文化に触れることで、初めて日本のよさを再認識するようになった経験はあるだろう。ご指摘のとおり、文化の根幹をなすものは「言葉」である。つまり、日本語を正しく使えなければ、その美しさなど到底理解できるはずがない。ましてや、日本文化を理解しようなど永劫叶わぬ。ただし、ここで言うそれは、文法的な意味だけに留まらない。忘れてはならないのは、日本語は、特有の“間(ま)”や“侘び寂び”といった「粋」を宿すものであることだ。それが、日本らしさ、つまり日本文化を理解するうえで極めて大切だ。
例えば、私に会うなり、「いやぁ、暑いですねぇ」と話しかける輩が多い。私は思わず続ける言葉を失うね。「てめぇ、暑いから何だ、この野郎」と腹の中で思う。そうではなくて、「蝉の季節ですね」だとか、「緑が色濃く感じられる日ですね」といった言葉は出てはこないのか。そうすれば、「いやあ、そうだね」と話が続き、たとえ短い会話であろうと、それは心地よい会話となる。言葉使いとは、こういった日々の小さな積み重ねである。それが、結果的に相手を気持ちよくさせる、つまり、思いやることにもつながるのだ。
Q.なるほどっ!さすがはマエストロ!いつもいつも、ありがたいお言葉。お忙しいのに本当にありがとうございます!さすが、江戸っ子!粋ですねっ!
馬鹿やろうっ!ふざけているのか!だが、間違ってはいない。私は江戸っ子だ。江戸っ子といえば、まず“べらんめえ調”の乱暴な言葉使いを連想するかもしれないが、実はそうではない。相手を慮る世辞が自然と使える、もしくはそんな振る舞いができることが大切だ。そして昨今、改めて見直されようとしているものが、「江戸しぐさ」である。最近では、小学校の授業にも使われることもあるようだ。江戸時代、かつて寺子屋では、大人が子供に話しかけ、子供が自分で考えて自分の言葉で話す訓練をしたそうである。そして、そこには身分や年齢といった概念はなく、対等の人間関係のみが存在した。例えば、部下に「おはようございます」と挨拶をされて、あなたは何と答えているだろうか?「おはよう」と偉ぶってはいないだろうか。私はどんな相手であろうと「おはようございます」と返す。そのほうが、部下も私も気持ちがいい。同格の言葉を返すことは、信頼関係を築くうえでも大切なのだ。さて、もうひとつ。お前が、先ほど使った「忙しい」という言葉。これを使われることを私は好まない。「赤峰さん、お忙しそうですね」と話されると、てめぇ、何だとこのやろう! 失礼な奴だ、と思う。まぁ、そう言葉にすることはないが、仕方なくそれを我慢したとして、そんな時はあえてこう言う。「かなり、暇なんです」。別に天の邪鬼をしているわけではない。「忙」という字は心を亡くすと書くだろう。つまり、相手に「忙しいですね」とは「心を亡くしていますね」と言っていることと同義であり、失礼を意味するのだ。少なくとも江戸商人においては、その言葉遣いは認められなかった。もし、忙しそうな相手に声をかけたりするときは「ご多用のところ」と言ったりするのが正しい。何でもメールで済まされる時代である。だからこそ、相手と直接交わす言葉では日本語のよさや意味を意識して、使うようにしてほしい。
(→)マエストロは自他ともに認める無類の動物好き。この日は、公園でワンコとじゃれあう姿をパチリ。動物にも“思いやりの気持ち”をもって対等に語りかけるその姿は、微笑ましくもあり、氏の生きざまを映し出しているようでもありました。
Q.いやぁ〜深いですねぇ、日本語。なんだか身に染み入るお言葉です。お言葉にいつも含蓄があるのは、その言葉遣いのせいでもあったんですね。日本語の魅力をほかにも教えてっ!
てめぇ、言いやがるじゃねぇか。オレを持ち上げてどうするつもりだ。日本語の魅力を教えてほしいのか。映画のタイトルにも使われた「武士の一分」という言葉がある。金や名誉を捨てたとて、これだけは譲れないという意志を持つことだ。つまり、プライドを保ち続ける、自分を自分が裏切らない、ということだ。生活のありとあらゆる場面で「武士の一分」があるか問われる。そのたびに私は自分を律するのである。しかし、世の中はどうだ?己の誇りはどこへ消えうせた?金や名誉のためなら何でもする輩が多すぎる。かつての武士は、生活が困窮して月代〜さかやき〜(=江戸時代には風俗にもなった成人男子の髪型)は伸び放題、着物はボロで、あちこちに借金をして、それでも武士は気位を失わなかったという。例えばあなたの会社が潰れて、名刺がなくなり、仕事を失ったときに、どれだけ誇りを保ち続けられるか。人間の強さは、丸裸にされたときに初めて試されるものだ。同じことをする必要はないが、その精神だけは、ぜひ覚えておきたいものだ。
やせ我慢を意味することもあるが、私は「武士は食わねど高楊枝」という言葉も好ましく思う。なぜなら、それは自分を律することができているということだからだ。オフィス街に行くと、ジャケットを脱いで、半袖のシャツで、ネクタイは外し、スリッパを履いて街を歩いている輩に出くわす。クールビズのエコロジカルな精神に異を唱えはしないが、ネクタイを締めないビジネスマンは、刀を差さない武士と同じだ。兜の緒を締めるように、ネクタイを締めると気持ちが引き締まる。そして、これは装いにおける世界基準でもある。いかに暑かろうと「やせ我慢」をせよ。自分を律する心持ちはネクタイにも現れる。このように、日本語には、自分を律することに通じる振る舞いや気構えを示してくれる言葉がたくさんある。それこそが、大きな魅力だ。
Q.よっ!さすが平成の武士!マエストロは、ラストサムライですね!しかも、海外の文化にも精通していますしね。日本との違いってどうなんですか?
私は江戸っ子だが、江戸かぶれをしているわけではない。イタリアやイギリスの文化に多く触れてきた。文化とはその国や土地による違いはあれ、海外には総じて日本人が学ぶべきことも数多い。ひとつ日常的なシーンでの例を挙げよう。日本の駅では「携帯電話をお切りください」とか、「白線よりお下がりください」とか、「間もなく出発です」とか、事細かに放送が流れる。これは、悪いことだとは言わない。だが、それが意味するのは、言わなければできないという、要は“子供扱い”されているということだ。ところが、イタリアではそういった類いの放送は一切、流れない。列車は定刻になれば、勝手に走り出す。日本に比べて、これは極めて“大人扱い”だと言える。また、イタリアの友人と電話で話すと最後に必ずと言ってよいほど「ご家族にもよろしく」と締めくくる。これは「あなたを取り巻く人が元気でいるか」という心配りの意味合いで、それは私に対する親愛の情からくる言葉だ。つまり、そんな日常のシーンからでさえも、イタリア文化、あるいはイタリア人の成熟度の高さを垣間見ることはできないか。一方、日本ではどうだろう。日本人には、悲しいかな、心のゆとりがまったくもって足りないのだ。もちろん、日本でも昔はそうした気配りがあった。しかし、そういった“心のゆとり”が失われてきている。心のゆとりとは、誰かを思う気持ちである。言葉やしぐさの本質は、まさにその心のゆとりにある。そして、そのゆとりが文化を形作っていくのだ。独り善がりな心からは、何も生まれることはない。
Q.言葉やしぐさの本質は相手を思う気持ち、ですか。ではなぜ、この日本からその気持ちが失われてきているのでしょうか?そして、今我々に必要なことは何か、教えてください!
それは、おそらく日本人が生きていくうえで規範とすべき“道標”が形骸化してきているからだ。わかりやすく言えば、それがかつての「武士道」だ。英国をはじめとする欧州の国々には、ジェントルマンシップとしての「騎士道」が文化として息づいている。我々がすべきことは、まずこの日本から消えようとしている文化を継承していこうとする姿勢を持つことだ。「正しい日本語」の習得と理解、そして実践から始めよう。日本文化の深みを知ってこそ、海外へ目を向けることができる。かつての規範にすべてを求めることはできない。しかし、そこには現代にも通じる素晴らしい文化が凝縮されている。日本文化への造詣は、あなたの生き方にとって大きな示唆となるはずだ。文化の根幹を成す正しく美しい言葉やしぐさの本質は、誰かを思いやる気持ちにある。それをもう一度よく理解したうえで、海外でのよき規範あるいは文化を見渡せばよい。そうすれば、あなたの求める「現代版・江戸しぐさ」は自ずと身に付くはずである。
−近ごろのマエストロ−
1年ほど前、ある英国ブランドから日本での展開にあたり、アドバイスを求められた。もちろん、時間を割いて耳を傾けた。そして、私なりに精一杯の助言はしたつもりである。しかし、それから音沙汰はなく、今秋から日本での展開を始めるのだと聞いた。「馬鹿やろう」である。アドバイスを求めていながら、まったく仁義に欠ける。私は金銭的なことなどではなく、その気持ちのつながりを欠いた行為に強い憤りを覚える。この社会とは、人と人のつながり、つまり心と心のつながりで成立しているものなのだ。
■みなさんからの質問待ってます!
仕事から家庭、恋愛、そしてファッションetc.・・・・・・、日ごろ読者の皆さんが抱える悩み、疑問など、相談したいことを何でも教えてください。マエストロ赤峰がズバッと解決いたします!インターネットの場合は[ www.oceans-ilm.com ]へアクセスのうえ、「NEWS」から投稿してください。郵送の場合はハガキに @相談したいこと A氏名(ふりがな) B住所 C年齢 D職業 E電話番号 Fメールアドレス G「オトナ相談室」への感想 を明記し、〒162-0825東京都新宿区神楽坂6-42 オーシャンズ編集部「オトナ相談室」係まで。
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この秋、スーツは断然「グレンチェック」 [OCEANS掲載記事]
その“よさ”を彼らは既に知っていた・・・・・
ほら、達人たちには「グレンチェック」が当たり前!
あくまでも控えめな印象でこなしたい
グレンチェックには特別な思い入れがあると語る赤峰さん。「1970年代に会社を興し、男の装いの原点は英国にあることから社名をグレンオーヴァーとしました。だから、その名の由来ともいえるグレンチェックは私にとって特別な柄でもあります。このスーツはアカミネロイヤルラインのもので、生地はドレス感のあるウーステッド。ジャケットはやや細身、対してパンツは太めのストレートというシルエットです」。今回はベーシックな白×黒のグレンチェックスーツなので、誰でも真似しやすい白シャツと黒タイのVゾーンに。モノトーンでストイックにこなしていただいた。
黒シルクのチーフに入る赤いドットがアクセント。「ケーリー・グラントの場合は赤のバラだったね」とは赤峰さんの弁。袖口には英国的紋章が入っている赤いカフスリンクスを着用。
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