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Akamine Royal Line 赤峰幸生

【赤峰幸生です。】

時代を超えた〝装いの民藝〟

この世に生を受けて約80年。紳士服に携わって約60年。私がその人生を通して追い求めてきたものは、人間の営みに欠かすことのできない「衣・食・住」すなわち「着るもの」「食べるもの」「住むところ」。この3つの要素は、私たちが暮らす地域の気候、風土、習わしによって培われてきた文化であり、決して切り離して考えることはできません。

ならば私たちニッポン人は、いったいどんな服を、どんなふうに身に纏うべきなのか? 数多くの国を訪れ、日本の歴史を知り、そうした探究の中から育まれたのが、私の装いのあり方です。

羊、綿毛、麻といった原材料の選択から始まって、紡ぎ、染色、低速織機を使った織り、仕上げ、型づくり、手間ひまかけた縫製・・・。これらを駆使してつくり上げた〝民藝服〟こそ私の哲学。世界中どこへでも胸を張って行ける、時代を超えた服です。

皆様の生涯を通じたパートナーとして、共に暮らして頂きたい服。
それがAkamine Royal Lineです。

赤峰幸生の歩み

1940’s

1944年の8月17日、東京都目黒区碑文谷生まれ。家族は父倫介、母たま子、兄民生。伯父は社会学者の清水幾太郎。サレジオ幼稚園に入園し、遊び場は碑文谷公園。典型的な日本家屋で、剣道や絵画に親しみながら育つ。

1950’s

さらに絵画に没頭し、コンクール入賞などを通して自信をつける。この頃に映画に目覚め、ハリウッド、フランス、イタリアなどの作品を観漁り、映画監督を夢見るようになる。桑沢デザイン研究所に入学し、学長だった桑沢洋子氏の影響を強く受ける。

1960’s

桑沢デザイン研究所を卒業。日本オートクチュール協会員のジョージ岡氏から婦人服のつくり方を習得するが、路線変更。紳士服メーカーに就職する。

1970’s

28歳で独立。当時全盛期だったVANヂャケットに対するスタンスをブランド名に掲げた「WAY-OUT but classic」(体制の外)を自由が丘で立ち上げる。独自のトラディショナルスタイルを確立した同ブランドは、全国のメンズショップで展開。バラクーダのG-9やオーストリアのチロリアンジャケットなどを、日本でいち早く取り扱った。

1980’s

30代後半から準備を始め、白金台にてグレンオーヴァー社を設立。ブランド名「GLENOVER」は、渓谷(GLEN)飛越(OVER)という意味を込めたもの。この頃から日本の文化的要素と欧米から学んだ要素を混ぜた、独自のクラシックスタイルの確立を目指す。ちなみに現在展開されているライセンスブランドの「GLENOVER」は、赤峰幸生とは一切関係はない。80年代後半にはイタリアントラットリアの「イル・ボッカローネ」を監修。トスカーナ料理に特化した日本初のイタリア郷土料理店は、その後全国に影響を与えた。

1990’s

出会い(INCONTRO)を意味にもつ社名を掲げた、株式会社インコントロを広尾にて設立。オンワード樫山の「五大陸」のプロデュース、イタリアンレストラン「ラ・ビスボッチャ」の監修等、様々なコンサルティング業務を手掛ける傍ら、自身の名を冠したブランド「Y.Akamine」をスタート。全アイテムをイタリア生産する今までにない日本ブランドとして、全国のセレクトショップで展開する。

2000’s

2008年にカスタムクロージングブランド「Akamine Royal Line」をスタート。ひとりひとりの顧客と向き合い、様々な相談を受けながら洋服をカスタマイズし、ベストなスタイルを提案する、新しい挑戦に取り組む。

2010’s

2014年に企画の視点を“人と自然の共生”に広げるため、インコントロを神奈川県川崎市の自然に囲まれた立地に移転。社屋を「めだか荘」と命名して、企画の創造と発信、体感の場として活用。朝日新聞の連載を収録した電子書籍『男の粋を極める 装い歳時記』(朝日新聞出版)を上梓。

2020’s

2022年に写真集『赤峰幸生の暮しっく』を上梓。アメリカを中心とした海外でも好セールスを記録。

FOX BROTHERS CEO
ダグラス・コルドー氏
LIVERANO LIVERANO 代表
アントニオ・リヴェラーノ氏